THE BIG HOUSE ザ・ビッグハウス

アメリカという巨大な家を映す鏡

町山智浩(映画評論家)

『ザ・ビッグハウス』は何も語らない。ただ、ビッグハウスこと、ミシガン大学アナーバー校のミシガン・スタジアムでの2016年10月、ミシガン大対ウィスコンシン大のアメリカン・フットボールの試合をナレーションなしで見せる。いや、正確には試合は見せない。試合以外のものをすべて見せる。観衆、中継システム、配膳、清掃……。それを黙って見せる。日本の観客はそこに何を見出すか。

まず、巨大さ。ビッグハウスの収容員数11万人という巨大さに驚かされるだろう。現在、東京に建設予定の新国立競技場(6万8千人収容)の約2倍だ。ここをホームとするミシガン大学のフットボール・チーム「ウルヴァリンズ」の2016年の収入は8820万ドル (そのうちチケットの売り上げは3950万ドル)。これは巨人やソフトバンクを別格として、日本のセ・リーグの球団の平均的な売り上げに匹敵する。大都会ではなく、地方の大学でこのスケールなのだ。アメリカという超大国の大きさを思い知らされる。

次に軍隊の影。『ザ・ビッグハウス』はスタジアム上空からの海軍特殊部隊ネイビーSEALS隊員のパラシュート降下で始まる。SEALSは敵地の奥深くに侵入する命知らずの精鋭たち。アナウンサーは「彼こそ本当の英雄です」と讃える。地方の大学のフットボールと軍隊のつながりは論理的には説明されない。

ミシガン大学マーチングバンドのパフォーマンスが始まる。総勢400人、スーザフォン24人、ドラムライン30人の演奏はすごい迫力だ。だが、マーチングバンドは本来、戦争の道具だ。18世紀、歩兵たちは、バンドの演奏に合わせて、横一列で敵に向かって行進していった。だからバンドのユニフォームは軍服になっている。

また、フットボールそのものも戦線、陣取り等、歩兵の陸戦を模したゲームである。11万人がミシガン大学のシンボルカラーである青と黄色の服を着て、一斉に「ゴー・ブルー!」と叫ぶ。愛校心は愛国心につながるものだろう。『ザ・ビッグハウス』の向こうには、世界一の軍事大国アメリカが透けて見える。

そして宗教。スタジアムに向かう群衆に「悔い改めよ」「神と和解せよ」と叫ぶ人々がいる。おそらく福音派と呼ばれる信仰心の篤いプロテスタントか、信者獲得に熱心なエホバの証人の信者だろう。試合前にはカトリックのミサもある。アメリカ人の約半分がなんらかの神を信じていると答えており、スポーツの試合前に選手がロッカールームで神父や牧師から神の祝福を受けることが多い。軍隊でも出撃前に同じことをする。ひざまずいて祈る選手もいる。ゴッド・ブレス・アメリカ。アメリカは今も宗教的だ。

マチズモ、男性主義もアメリカン・フットボールと切り離せない。女子チームも増えているとはいえ、他のスポーツに比べるとアメフトの男女平等は遅れている。全米各地の大学でフットボール選手によるレイプ事件が後を絶たない。ボクシングのラウンドガールやF1のレースクイーンが女性差別として廃止されていくなか、アメフトのセクシーなチアリーダーは健在だ。

『ザ・ビッグハウス』の男たちは、酒場の武勇伝を語り合う。救護班の女性は、観客の事故のほとんどが飲酒によるものだと答える。試合中、ゲロまみれの男性が担架で救急車に乗せられる。スタッフの女性がため息混じりにつぶやく。「私、フットボールが嫌い」。

人種にも注目してほしい。11万人の観客のほとんどが白人である。もちろん、黒人も出てくる。厨房で大量の料理を作る人々、清掃をする人々、道端でチケットの売り買いをするダフ屋、空き缶を拾ってリサイクルに売ってわずかな金を手にする人、ボンゴを叩く大道芸人、チョコを売る父子、それにフットボールの選手たち……。彼らは試合を楽しんでいない。必死に働いている。

ビッグハウスのあるアナーバー市の人口の75%は白人である。だが、自動車で50分ほど走ったデトロイト市の人口の83%は黒人だ。デトロイトはかつて自動車産業の中心として栄えたが、1950年代から、中産階級化した白人がアナーバーなどの周辺部、郊外に一軒家を持ち、デトロイト中心部には貧しい黒人だけが取り残された。

現在、デトロイト市の世帯平均年収は26249ドル。アメリカでは4人家族の場合、年収28290ドル以下を「貧困層」と規定している(2017年)。いっぽう、アナーバー市の世帯平均年収は75440ドル。デトロイトの3倍近い。ビッグハウスには、大変な格差が存在している。

ビッグハウスのてっぺんにあるVIPルームの客は「驚くような値段だよ」としか言わないが、去年の年間レンタル料は6万1000ドル(約670万円)である。彼らのようなミシガン大学への大口寄付者を集めた謝恩パーティで『ザ・ビッグハウス』は幕を閉じる。黒人の卒業生が、貧しかった自分が奨学金で大学を出られたのは、寄付者の皆さんのおかげですと謝辞を述べる。アメリカは連邦政府が教育に介入することを禁じられており、公立学校は州や地方自治体の予算で運営する。だが、どこの自治体も赤字のため、公立学校の学費は高騰し続けている。ミシガン大学の学費は州民でも4年間で6万ドル。日本の一流私大の理系並だ。だから、VIPルームに6万ドル払えるような富豪たちの寄付や企業からの研究助成金が大学や学生を支えている。公立とは名ばかりともいえる。貧しい者は高等教育を受けるチャンスが減る一方で、ますます貧しくなる。

最後に政治。『ザ・ビッグハウス』は2016年10月、アメリカ大統領選挙の直前に撮影されている。ミシガン州は伝統的に、自動車労働組合を支援する民主党支持者が多かった。前回の2012年の選挙に、共和党からはミシガン州知事の息子ミット・ロムニーが候補に立ったが、ミシガン州民は、破綻したデトロイトの自動車産業は滅びるに任せろと主張したロムニーではなく、公的資金を投入してデトロイトを救ったオバマを選んだ。だから、今回もミシガン州は民主党のヒラリーを選ぶと予想されていた。『ザ・ビッグハウス』の後半、カメラはドナルド・トランプ候補を応援する市民の自動車にズームする。11月、ミシガンではトランプが勝利した。大統領選を決定づける番狂わせだった。その理由のいくつかは『ザ・ビッグハウス』の中に見える。たとえば、トランプはミシガンをはじめ、五大湖地方の白人労働者のために何度も遊説し、キリスト教福音派の指導者の推薦を獲得した。ヒラリーは、しなかった。

ミシガン・スタジアム、ビッグハウスは、大きさ、軍事、宗教、マチズモ、人種、階級、経済、そして政治において、アメリカという巨大な家を映す鏡ではないか。『ザ・ビッグハウス』にナレーションはないが、饒舌な二時間である。

ただ、『ザ・ビッグハウス』を観た日本の観客が最も驚くのは、ハンバーガーのコンボ・セットが16ドルという値段だろう。これは2016年10月の撮影なので、1600円ぐらいの換算になる。現在、円の価値はもっと下がった。それほど日本は貧しくなってしまったのだ。

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